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エンタビジネス最前線
2011年を振り返って
今年も残り1日となりました。恵比寿ガーデンプレイスでは、クリ スマスが終わった今も、バカラのでかいシャンデリアが燦々と輝い ています。
今年は社会的にはもちろんですが、個人的にも、いろいろなことが 重なった年でした。やはり震災のインパクトは、被災者ではない私 にとっても大きかったです。
3月11日、1階のコンビニでメロンパンを買って18階にあがっ て、「さあ、昼飯を食おう」と思ったところで突然の大揺れ。大型 船に乗っているかのような大きな揺れで、天井の板が落ちてきたり 、悲鳴があちこちであがったり。。私は咄嗟に「火事」を警戒しま したが、地震で、津波と原発がこれほど大きな問題に発展するとは 考えもしませんでした。恵比寿ガーデンプレイスの中央広場が、不 安と恐怖の混じった顔の人で溢れ返っている様子は忘れられません 。その後、被災地の惨状を見たり、聞いたりするにつけ、自分の無 力さを痛感する日々が続きました。
上半期は、やはり自粛や節電の影響もあり、企業も個人も、活動が 控えめだったような気がします。それでも毎年6月に開催されるS hort Short Film Festivalで、CGクリエイターの大森清一郎さん、俳優の 佐藤浩市さん等、才能豊かな方々と復興支援のためのメッセージフ ィルムを作ったことは、難しい挑戦でもあり、大きな苦悩を伴うも のでしたが、良い経験をさせていただきました。また、プロデュー サーとして参加させていただいた劇場映画「見えないほどの遠くの 空を」も、震災後は試写会を急遽中止にしたりしましたが、結果的 に無事公開でき、ホッとしました。
この非常時に、エンタテインメントに出来ることは何か・・・業界 の方々は皆さん悩み抜いただろうと思います。
下半期になって、世の中も落ち着いて、いろいろ動き出したのか、 新規プロジェクト等のご相談もあれば、紛争、揉め事のご相談を多 くいただきました。おそらく揉め事も、上半期は自粛しようという 心理的な抑制が働いていたんだと思います。
11月、12月はいろいろな案件が集中して、自分のキャパを超え るぐらいの分量のご相談をいただき、恥ずかしながら気持ちの余裕 を失いかけました。また、2ヶ月で8件のセミナーや勉強会で講師 をさせていただき、その準備にも追われて想像以上にしんどかった ですが、大変勉強になりました。
いろいろありすぎて、「ああ、あれも今年だったか」と思うほど、 1年間にいろいろなことが凝縮された年だったように感じます。原 田芳雄さん、市川森一さん、森田芳光さん、杉原輝雄さん等、エン タテインメント&スポーツ界の「巨星」が亡くなられるケースが、 例年より多かったようにも感じます。
来年もいろいろなプロジェクトが公開されます。
2月は「51 世界で一番小さく生まれたパンダ」、「はやぶさ 遥かなる帰還」、3月には「此岸、彼岸」という、アルツハイマー の母親を題材にしたノンフィクション&ヒューマンドラマ映画も上 映される予定です。
また、アメリカから新しい音楽配信サービスが日本でローンチする ことも予定されています。
(私は全く関係していませんが・・)1月からの大河ドラマ「平清 盛」も期待しています。我が四宮家のルーツは、村上水軍の流れを 組む、阿波讃岐(今の徳島県、香川県)の四宮家、要するに、瀬戸 内海の海賊です(笑)。「海賊から天下を制した男」、平清盛を松 山ケンイチさんがどう演じ切るか、大変楽しみです。
規模の大小もありますが、「映画のチカラ」「音楽のチカラ」、そ して「エンタテインメントのチカラ」を、私はしょせん弁護士です が、来年も信じて頑張っていきたいと思っています。
最後に、手前味噌ですが、、復興支援のためのメッセージフィルム を改めてご紹介させてください。タイトルは「GET UP」。
「心や、体に傷は残っても、希望が全て闇に飲み込まれていはいけ ない」という佐藤浩市さんからいただいたメッセージを胸に、来年 も、自分に出来ることは何かを模索していこうと思います。
http://youtu.be/6Wct8HJFYeg
今年一年、ご支援、ご指導いただいた皆様、本当に有り難うござい ました!
来年も、どうぞ宜しくお願い致します!
弁護士 四宮隆史
今年は社会的にはもちろんですが、個人的にも、いろいろなことが
3月11日、1階のコンビニでメロンパンを買って18階にあがっ
上半期は、やはり自粛や節電の影響もあり、企業も個人も、活動が
この非常時に、エンタテインメントに出来ることは何か・・・業界
下半期になって、世の中も落ち着いて、いろいろ動き出したのか、
11月、12月はいろいろな案件が集中して、自分のキャパを超え
いろいろありすぎて、「ああ、あれも今年だったか」と思うほど、
来年もいろいろなプロジェクトが公開されます。
2月は「51 世界で一番小さく生まれたパンダ」、「はやぶさ 遥かなる帰還」、3月には「此岸、彼岸」という、アルツハイマー
また、アメリカから新しい音楽配信サービスが日本でローンチする
(私は全く関係していませんが・・)1月からの大河ドラマ「平清
規模の大小もありますが、「映画のチカラ」「音楽のチカラ」、そ
最後に、手前味噌ですが、、復興支援のためのメッセージフィルム
「心や、体に傷は残っても、希望が全て闇に飲み込まれていはいけ
http://youtu.be/6Wct8HJFYeg
今年一年、ご支援、ご指導いただいた皆様、本当に有り難うござい
来年も、どうぞ宜しくお願い致します!
弁護士 四宮隆史
金融商品取引法の改正案
コンテンツビジネス実務において頻繁に利用されている「製作委員 会方式(主に民法上の組合)」を、金融商品取引法の規制の対象か ら外すための法律の改正案が、現在審議されています。
改正案では「出資者の全てが、当該権利に係る出資対象事業の全部 又は一部に従事」する場合は「製作委員会(組合)」を規制の対象 から外す、としていますが、この「事業に従事」をどう解釈するか 。
「宣伝協力だけでは、出資対象事業(コンテンツ事業)に従事した ことにはならない」という立法担当者の見解もありましたが、今回 のパブリックコメントを受けて、金融庁がどういう回答を出すのか が注目です。
http://bit.ly/jziBvd
改正案では「出資者の全てが、当該権利に係る出資対象事業の全部
「宣伝協力だけでは、出資対象事業(コンテンツ事業)に従事した
http://bit.ly/jziBvd
ショートショートへの想い
6月26日(日)夜にショートショートフィルムフェスティバル&アジア2011の東京・横濱開催が閉幕した。
>>オフィシャルサイト
今年は、3月11日の東日本大震災の発生により、映画祭の開催そのものが危ぶまれたようだが、「映像の力で日本に笑顔をもたらそう」を合い言葉に、おそらく過去最大ではないだろうか、、、実に多種多様なプログラムが用意され、事務局やサポーターの皆さんの獅子奮迅の働きによって、無事に開催にこぎつけることができた。
私は、かれこれ7、8年の間、いろいろな形でショートショートに関わらせていただいている。
最初の3年間は、以前の勤め先であった法律事務所がショートショートの顧問弁護士であったため、私が担当者となって、法律上のアドバイスをさせていただいていた。
2007年に前事務所を退職し、独立してからは、ショートショートとコラボして映像クリエイター向けのイベントを開催したり、短編映画を作ったり、という、弁護士とは全く関係のない仕事でご一緒させていただいている。
ショートショートは、私にとって、きわめて思い入れの強い、かけがえのない存在である。
私は学生時代、映画やドラマのシナリオライターになるためのスクールに通っていた。
その学校で「20枚シナリオ」なるものを書くよう指導された。「20枚シナリオ」とは、読んで字のごとく、原稿用紙20枚のシナリオ(脚本)である。原稿用紙20枚の脚本を映像化すると、およそ10分弱の映像作品になる。
これぞまさに「ショートショート」である。
原稿用紙20枚で、ショートドラマのシナリオを何本も書くことで、シナリオの構成力、展開力、情景・人物描写の基礎が築かれていく。
私は結局、3本の20枚シナリオしか書けなかった。熱心な人は20本も、30本も書いていた。私は決して「優等生」ではなかった。
ただ、「書き終える」という作業とは別に、街を歩きながら、原稿用紙20枚でドラマを描くにはどうしたらいいのか、面白い題材は転がっていないか、登場人物の設定をどうするか、商店街を歩くカップルを見て「このカップルはどこで出会ったのだろうか?」・・・といったことを、ぼんやりと人並みや景色を眺めながら毎日のように考えて暮らしていた、そんな日々が単純に「楽しかった」。
きっと今、(才能がないので無理に違いないが)プロの脚本家や映画監督になっていたとしたら、もしかしたら、そんな日々が永遠に続くことに「苦痛」を感じていたかもしれない。しかし、暢気な学生身分にとっては、ただただ「楽しい」作業だった。
もともと漫画や小説でも短編が好きだった。あだち充の短編集。独特の甘酸っぱい学生の恋愛の距離感が、短い中に凝縮されていた。司馬遼太郎の短編集。なぜこうも色々な角度から、人間が進むべき道、あるべき姿、愚かな所行を描き、濃密かつ簡潔に表現することができるのか。
飽きっぽい性格だからかもしれないが、短編集を読むことで、その文章や絵には表現されていない、登場人物の過去、性格、物語の将来について空想を働かせて楽しむことが好きだった。子どもの頃からそうだった。
13年前にショートショートが始まったときは、小じんまりとした、別所哲也さんの「私設上映会」だったそうだ。映画祭のタイトルも、アメリカンショートショート、といって、別所さんがアメリカで見て面白いと思った映画を日本の皆さんに紹介する、というコンセプトのものだったらしい。
私は、その頃、脱サラの「プー太郎」で、司法試験に受かるかどうか、といった切羽詰まった状況にあった。ショートショートの存在を知ってはいたが、とても上映会に行けるような心の余裕はなかった。
当時、私は東横線の綱島駅に住んでいたので「東京」に出るまで電車でわずか20分程度ではあったが、金もないし、、模擬試験などの用事でもない限り「東京」に出ることはめったになく、家の周りで犬の散歩をしたり、家族や彼女とファミレスで週に1回ご飯を食べるぐらいしか、息抜きのための「物理的余裕」がなかった。
まさに「嘘のような本当の話」で、まぐれ当たりで司法試験に合格し、弁護士になることができた。
学生時代にシナリオの勉強をして、大学卒業後はテレビ番組のディレクターをやっていた人間が、なぜ弁護士を目指そうを思ったのか・・・これを語り出すと長くなるので(笑)、そのことはひとまず置いておいて、ショートショートに話を戻す。
弁護士になって、上司の弁護士からショートショートの担当を命じられたときは、胸が躍った。「弁護士になり、テレビや映画の世界の仕事をする」。ただその1点を目標に、私は、全く門外漢だった法律の勉強に耐えてきたのだから、当然テンションがあがった。
しかも、クライアントはショートショート。大好きな「短編」映画の祭典!
まだその当時は、今のような大きな規模の映画祭ではなかったが、「短編」「映画」「映画祭」&「別所哲也」という、私にとってホットなキーワードが並んでいる。胸が躍らないはずがなかった。
ちなみに、NHK時代、隣の席のプロデューサーが、別所さんがリポーターをやっていた米国アカデミー賞の授賞式のチーフプロデューサーだった。また、別所さんのデビュー作「クライシス2050」は、実はあまり内容は覚えていないのだが(汗)、チャールトン・ヘストンと並んで新人の日本人俳優が出演している、という事実に衝撃を覚えたことを鮮明に記憶している。
そんな別所哲也が主催する短編映画祭の仕事をする。そのきっかけを与えていただいた前事務所には、やっぱり一生頭が上がらない。
ただ、弁護士の仕事は、(やむを得ないことだが)一つのプロジェクトに最初から最後まで立ち会う、という機会が非常に少ない。特にエンタテインメントビジネスのような、必ずしもマーケット規模が大きいとは言えないビジネス領域では、弁護士が必要とされるチャンスは少ない。
弁護士に相談することがあっても、例えば、資金調達の場面だけの依頼であったり、海外セールスをする際の契約交渉の依頼であったり、と局所的である。
ショートショートから相談を受けていても、映画祭の全体像をつかむこと(自分も映画祭に参加している、と実感すること)は非常に難しかった。
2007年に独立して、私がまず最初にやりたかったことは、「弁護士」としてではなく、一人の映像を愛する者として、ショートショートとコラボすることだった。
すぐに事務局の諏訪さんにコンタクトし、「一緒にクリエイター向けのセミナーイベントを開催しませんか?」と持ちかけた。これが、私とショートショートの、本格的なお付き合いの始まりだった。
2007年は、韓国人俳優のユ・ジテさんを招聘し、別所さんとの対談形式で、日韓のショートフィルムについて語ってもらう、というイベントを開催した。(実は、このとき、アーヴィン・カーシュナーという高齢のハリウッド映画監督に来日してもらう予定だったのだが、直前に「体調不良だから日本に行けない」と言われてキャンセルになってしまった。このときは本当に心臓が止まるかと思ったが、別所さん始め、事務局の方々の瞬時の決断によって救われた。カーシュナー監督からは、ビデオレターや、サイン入りのスターウォーズの撮影現場写真がショートショートに贈られ、このときの写真は今でも、横浜にある「ブリリアショートショートシアター」のショーケースに飾られている。)
2008年は、ショートショート10周年の記念開催だったので、「9名の新進気鋭のクリエイターが、ショートショート10周年を祝した3分間のショートフィルムを作る」というイベントを開催した。コンペ形式のイベントだったので、ゲスト審査員として、中島信也監督、FROGMAN監督、女優の街田しおんさん、そして今や国民的スターとなった松下奈緒さんにお越しいただいた。お蔭さまで、ラフォーレ原宿最上階の「ラフォーレミュージアム」のキャパを超える、超満員のお客さんに来ていただいて大盛況となった。
その後も、ショートショートの発展は留まることを知らず、年々新しい企画やプログラム、タイアップイベントが増えていった。私も、プロモーションやキャスティングに協力したり、アニメーション作品「POSSIBLE WORLD」(監督:大森清一郎)でオフィシャルコンペに入選させていただいたり、と、「弁護士」とは全く関係のない関わり方を続けさせていただいている。
ショートショートの事務局の方々にとっては迷惑な話かもしれないが、、、私のなかで、6月のショートショートの時期に「生の映像に触れる」ことは、毎年の恒例行事となっている。
そして、今年。
3月に東日本大震災が発生し、「エンタテインメント」というカテゴリーそのものの意義が問われ、難しい課題をつきつけられた。中断を余儀なくされる映画やCMのプロジェクトが続出した。
毎年、3月は、ショートショートが大々的に記者発表をする大事な月だが、今年は、静かだった。
私も、今年は、ショートショートに関わることは無理だろう、と思っていた。
そんなとき、4月の終わり頃だったか、、事務局の諏訪さんから「チャリティShort、というプロジェクトのプロデュースをお願いできないか」というお話をいただいた。
私は、決して自ら「映像業界の人間」と名乗れるほどの能力も、キャリアもない。
ただ、小さい頃から映画に憧れ、短編を愛し、20枚の原稿用紙に空想を膨らませてきた「映画野郎」であることは間違いなく、そして、今も、弁護士としても、「弁護士でない立場」としても、映像業界の片隅で生息していることも間違いない。
そんな立場の人間として、映画で、震災後の復興のために、何かお役に立てるのであれば、どんな小さなことでもやりたい。そう思っていた矢先のオファーだった。
一も二もなく、お引き受けした。そして、大森清一郎という才能豊かなクリエイターと、佐藤浩市さんという、とてつもなく大きな存在のご協力を得ることができて、EMI MARIAさんの楽曲「PROUD」を乗せた「GET UP」という3分間のショートフィルムを完成させることが出来た。
限られた時間のなかで、世界中から集められた「笑顔の写真」をつなげてショートフィルムを作る。クリエイターにとっては、きわめて難題だったと思う。
大森監督の粘り強さと、別所さんを始めとするショートショート事務局の妥協しない姿勢に、ときには戸惑い、苛立ちながらも(笑)、同時に大いに刺激を受けた。
特に、打ち合わせでの佐藤浩市さんの発言は、一つ一つに説得力があり、ブレがない。本物のプロが目の前にいる、と実感した。
「GET UP」は、6月16日のショートショートのオープニングセレモニーでお披露目された。
そのとき佐藤浩市さんがこう言った。
「10人に1人、いや100人に1人でも、なにか感じてくれる人がいるなら、我々は活動を続けていかなければならない」。佐藤さんとは全く次元が違うが、私も同じ気持ちだった。
復興のために映像を作る、などというのは、手前勝手なことなのかもしれないが、ほんの少しでも、被災者の心に希望を届け、被災していない人の意識を変えるきっかけになれば、本当に嬉しい。
ちなみに、「チャリティShort」のような特別製作作品ではなく、ショートショートのコンペにノミネートされる作品は、「日本では未公開」で、上映時間が25分以内の短編映画である。
世界中から大量の作品がエントリーされるが、やはり、欧米の作品と日本の作品とでは、どうしても「差」を感じざるを得ない。
昨年は、「ジャパン部門」は受賞者なし、という衝撃的な審査結果だったし、今年も3D部門の審査員だった押井守監督が「日本の作品は、欧米に比べて、2歩、3歩、遅れている」と言っていた。
このことは、残念ながら事実である。
まず「予算が違う」ことがあげられるだろう。欧米では、10分程度のショートフィルムでも1,000万単位の製作費を投入することがある。ミュージッククリックやCMではなく、純粋なドラマ作品では、日本では有り得ないことだ。
しかし、「物語」の善し悪しは予算とは関係ないはずである。ストーリーと演出技法で、予算が少ないというハンデを補うことも出来るはずだ。
私が愛するショートショートは、特にこの数年で、スポンサーも特別プログラムも多様化し、メディアでの露出回数が増え、認知度もあがって、名実ともに(長編、短編含めて)国内最大級の映画祭となった。
しかし、華やかさが先行しても、肝心のコンテンツであるショートフィルムが魅力的でなければ、より多くの人を魅せることは出来ない。
短編映画ないしショートフィルムは、面白いものは本当に面白いし、感動で胸が熱くなるものもたくさんある。そういう作品が、日本国内からも多数ノミネートされれば、特設プログラムをたくさん作らなくても、ゲストを呼ばなくても、自然と人は映画祭に集まってくるはずだ。
「短編」が好きで、ショートショートという映画祭に少なからず思い入れのある私としては、「作品の力」で、もっともっと多くの人が、自然と、ショートフィルムを観るために劇場に足を運ぶような状況になって欲しい、と心から願っている。
私が来年もショートショートに関わっているかどうかは分からないが、いずれにせよ映画祭には行くだろう。
来年もまた、素晴らしい才能や作品に出会えることが、今からもう楽しみである。
特に日本のクリエイターの珠玉の作品に触れたい!
その溢れる才能を、ショートショートにぶつけて欲しい!
ショートショートは、観客にワクワク感と驚きを与えてくれる映画祭である。
なんだか久しぶりに「20枚シナリオ」が書きたくなってきた。
【作品紹介】
★協力作品
Superflyの新曲にインスパイアされて制作された短編映画『皆既日食の午後に』(常磐司郎監督。濱田龍臣、新井浩文、南沢奈央、田口トモロヲ出演)。iphone/ipad/androidアプリで配信中です。
★プロデュース作品
チャリティShort作品『GET UP』(監督:大森清一郎、楽曲:EMI MARIA、SPECIAL SUPPORTER:佐藤浩市)
>>オフィシャルサイト
今年は、3月11日の東日本大震災の発生により、映画祭の開催そのものが危ぶまれたようだが、「映像の力で日本に笑顔をもたらそう」を合い言葉に、おそらく過去最大ではないだろうか、、、実に多種多様なプログラムが用意され、事務局やサポーターの皆さんの獅子奮迅の働きによって、無事に開催にこぎつけることができた。
私は、かれこれ7、8年の間、いろいろな形でショートショートに関わらせていただいている。
最初の3年間は、以前の勤め先であった法律事務所がショートショートの顧問弁護士であったため、私が担当者となって、法律上のアドバイスをさせていただいていた。
2007年に前事務所を退職し、独立してからは、ショートショートとコラボして映像クリエイター向けのイベントを開催したり、短編映画を作ったり、という、弁護士とは全く関係のない仕事でご一緒させていただいている。
ショートショートは、私にとって、きわめて思い入れの強い、かけがえのない存在である。
私は学生時代、映画やドラマのシナリオライターになるためのスクールに通っていた。
その学校で「20枚シナリオ」なるものを書くよう指導された。「20枚シナリオ」とは、読んで字のごとく、原稿用紙20枚のシナリオ(脚本)である。原稿用紙20枚の脚本を映像化すると、およそ10分弱の映像作品になる。
これぞまさに「ショートショート」である。
原稿用紙20枚で、ショートドラマのシナリオを何本も書くことで、シナリオの構成力、展開力、情景・人物描写の基礎が築かれていく。
私は結局、3本の20枚シナリオしか書けなかった。熱心な人は20本も、30本も書いていた。私は決して「優等生」ではなかった。
ただ、「書き終える」という作業とは別に、街を歩きながら、原稿用紙20枚でドラマを描くにはどうしたらいいのか、面白い題材は転がっていないか、登場人物の設定をどうするか、商店街を歩くカップルを見て「このカップルはどこで出会ったのだろうか?」・・・といったことを、ぼんやりと人並みや景色を眺めながら毎日のように考えて暮らしていた、そんな日々が単純に「楽しかった」。
きっと今、(才能がないので無理に違いないが)プロの脚本家や映画監督になっていたとしたら、もしかしたら、そんな日々が永遠に続くことに「苦痛」を感じていたかもしれない。しかし、暢気な学生身分にとっては、ただただ「楽しい」作業だった。
もともと漫画や小説でも短編が好きだった。あだち充の短編集。独特の甘酸っぱい学生の恋愛の距離感が、短い中に凝縮されていた。司馬遼太郎の短編集。なぜこうも色々な角度から、人間が進むべき道、あるべき姿、愚かな所行を描き、濃密かつ簡潔に表現することができるのか。
飽きっぽい性格だからかもしれないが、短編集を読むことで、その文章や絵には表現されていない、登場人物の過去、性格、物語の将来について空想を働かせて楽しむことが好きだった。子どもの頃からそうだった。
13年前にショートショートが始まったときは、小じんまりとした、別所哲也さんの「私設上映会」だったそうだ。映画祭のタイトルも、アメリカンショートショート、といって、別所さんがアメリカで見て面白いと思った映画を日本の皆さんに紹介する、というコンセプトのものだったらしい。
私は、その頃、脱サラの「プー太郎」で、司法試験に受かるかどうか、といった切羽詰まった状況にあった。ショートショートの存在を知ってはいたが、とても上映会に行けるような心の余裕はなかった。
当時、私は東横線の綱島駅に住んでいたので「東京」に出るまで電車でわずか20分程度ではあったが、金もないし、、模擬試験などの用事でもない限り「東京」に出ることはめったになく、家の周りで犬の散歩をしたり、家族や彼女とファミレスで週に1回ご飯を食べるぐらいしか、息抜きのための「物理的余裕」がなかった。
まさに「嘘のような本当の話」で、まぐれ当たりで司法試験に合格し、弁護士になることができた。
学生時代にシナリオの勉強をして、大学卒業後はテレビ番組のディレクターをやっていた人間が、なぜ弁護士を目指そうを思ったのか・・・これを語り出すと長くなるので(笑)、そのことはひとまず置いておいて、ショートショートに話を戻す。
弁護士になって、上司の弁護士からショートショートの担当を命じられたときは、胸が躍った。「弁護士になり、テレビや映画の世界の仕事をする」。ただその1点を目標に、私は、全く門外漢だった法律の勉強に耐えてきたのだから、当然テンションがあがった。
しかも、クライアントはショートショート。大好きな「短編」映画の祭典!
まだその当時は、今のような大きな規模の映画祭ではなかったが、「短編」「映画」「映画祭」&「別所哲也」という、私にとってホットなキーワードが並んでいる。胸が躍らないはずがなかった。
ちなみに、NHK時代、隣の席のプロデューサーが、別所さんがリポーターをやっていた米国アカデミー賞の授賞式のチーフプロデューサーだった。また、別所さんのデビュー作「クライシス2050」は、実はあまり内容は覚えていないのだが(汗)、チャールトン・ヘストンと並んで新人の日本人俳優が出演している、という事実に衝撃を覚えたことを鮮明に記憶している。
そんな別所哲也が主催する短編映画祭の仕事をする。そのきっかけを与えていただいた前事務所には、やっぱり一生頭が上がらない。
ただ、弁護士の仕事は、(やむを得ないことだが)一つのプロジェクトに最初から最後まで立ち会う、という機会が非常に少ない。特にエンタテインメントビジネスのような、必ずしもマーケット規模が大きいとは言えないビジネス領域では、弁護士が必要とされるチャンスは少ない。
弁護士に相談することがあっても、例えば、資金調達の場面だけの依頼であったり、海外セールスをする際の契約交渉の依頼であったり、と局所的である。
ショートショートから相談を受けていても、映画祭の全体像をつかむこと(自分も映画祭に参加している、と実感すること)は非常に難しかった。
2007年に独立して、私がまず最初にやりたかったことは、「弁護士」としてではなく、一人の映像を愛する者として、ショートショートとコラボすることだった。
すぐに事務局の諏訪さんにコンタクトし、「一緒にクリエイター向けのセミナーイベントを開催しませんか?」と持ちかけた。これが、私とショートショートの、本格的なお付き合いの始まりだった。
2007年は、韓国人俳優のユ・ジテさんを招聘し、別所さんとの対談形式で、日韓のショートフィルムについて語ってもらう、というイベントを開催した。(実は、このとき、アーヴィン・カーシュナーという高齢のハリウッド映画監督に来日してもらう予定だったのだが、直前に「体調不良だから日本に行けない」と言われてキャンセルになってしまった。このときは本当に心臓が止まるかと思ったが、別所さん始め、事務局の方々の瞬時の決断によって救われた。カーシュナー監督からは、ビデオレターや、サイン入りのスターウォーズの撮影現場写真がショートショートに贈られ、このときの写真は今でも、横浜にある「ブリリアショートショートシアター」のショーケースに飾られている。)
2008年は、ショートショート10周年の記念開催だったので、「9名の新進気鋭のクリエイターが、ショートショート10周年を祝した3分間のショートフィルムを作る」というイベントを開催した。コンペ形式のイベントだったので、ゲスト審査員として、中島信也監督、FROGMAN監督、女優の街田しおんさん、そして今や国民的スターとなった松下奈緒さんにお越しいただいた。お蔭さまで、ラフォーレ原宿最上階の「ラフォーレミュージアム」のキャパを超える、超満員のお客さんに来ていただいて大盛況となった。
その後も、ショートショートの発展は留まることを知らず、年々新しい企画やプログラム、タイアップイベントが増えていった。私も、プロモーションやキャスティングに協力したり、アニメーション作品「POSSIBLE WORLD」(監督:大森清一郎)でオフィシャルコンペに入選させていただいたり、と、「弁護士」とは全く関係のない関わり方を続けさせていただいている。
ショートショートの事務局の方々にとっては迷惑な話かもしれないが、、、私のなかで、6月のショートショートの時期に「生の映像に触れる」ことは、毎年の恒例行事となっている。
そして、今年。
3月に東日本大震災が発生し、「エンタテインメント」というカテゴリーそのものの意義が問われ、難しい課題をつきつけられた。中断を余儀なくされる映画やCMのプロジェクトが続出した。
毎年、3月は、ショートショートが大々的に記者発表をする大事な月だが、今年は、静かだった。
私も、今年は、ショートショートに関わることは無理だろう、と思っていた。
そんなとき、4月の終わり頃だったか、、事務局の諏訪さんから「チャリティShort、というプロジェクトのプロデュースをお願いできないか」というお話をいただいた。
私は、決して自ら「映像業界の人間」と名乗れるほどの能力も、キャリアもない。
ただ、小さい頃から映画に憧れ、短編を愛し、20枚の原稿用紙に空想を膨らませてきた「映画野郎」であることは間違いなく、そして、今も、弁護士としても、「弁護士でない立場」としても、映像業界の片隅で生息していることも間違いない。
そんな立場の人間として、映画で、震災後の復興のために、何かお役に立てるのであれば、どんな小さなことでもやりたい。そう思っていた矢先のオファーだった。
一も二もなく、お引き受けした。そして、大森清一郎という才能豊かなクリエイターと、佐藤浩市さんという、とてつもなく大きな存在のご協力を得ることができて、EMI MARIAさんの楽曲「PROUD」を乗せた「GET UP」という3分間のショートフィルムを完成させることが出来た。
限られた時間のなかで、世界中から集められた「笑顔の写真」をつなげてショートフィルムを作る。クリエイターにとっては、きわめて難題だったと思う。
大森監督の粘り強さと、別所さんを始めとするショートショート事務局の妥協しない姿勢に、ときには戸惑い、苛立ちながらも(笑)、同時に大いに刺激を受けた。
特に、打ち合わせでの佐藤浩市さんの発言は、一つ一つに説得力があり、ブレがない。本物のプロが目の前にいる、と実感した。
「GET UP」は、6月16日のショートショートのオープニングセレモニーでお披露目された。
そのとき佐藤浩市さんがこう言った。
「10人に1人、いや100人に1人でも、なにか感じてくれる人がいるなら、我々は活動を続けていかなければならない」。佐藤さんとは全く次元が違うが、私も同じ気持ちだった。
復興のために映像を作る、などというのは、手前勝手なことなのかもしれないが、ほんの少しでも、被災者の心に希望を届け、被災していない人の意識を変えるきっかけになれば、本当に嬉しい。
ちなみに、「チャリティShort」のような特別製作作品ではなく、ショートショートのコンペにノミネートされる作品は、「日本では未公開」で、上映時間が25分以内の短編映画である。
世界中から大量の作品がエントリーされるが、やはり、欧米の作品と日本の作品とでは、どうしても「差」を感じざるを得ない。
昨年は、「ジャパン部門」は受賞者なし、という衝撃的な審査結果だったし、今年も3D部門の審査員だった押井守監督が「日本の作品は、欧米に比べて、2歩、3歩、遅れている」と言っていた。
このことは、残念ながら事実である。
まず「予算が違う」ことがあげられるだろう。欧米では、10分程度のショートフィルムでも1,000万単位の製作費を投入することがある。ミュージッククリックやCMではなく、純粋なドラマ作品では、日本では有り得ないことだ。
しかし、「物語」の善し悪しは予算とは関係ないはずである。ストーリーと演出技法で、予算が少ないというハンデを補うことも出来るはずだ。
私が愛するショートショートは、特にこの数年で、スポンサーも特別プログラムも多様化し、メディアでの露出回数が増え、認知度もあがって、名実ともに(長編、短編含めて)国内最大級の映画祭となった。
しかし、華やかさが先行しても、肝心のコンテンツであるショートフィルムが魅力的でなければ、より多くの人を魅せることは出来ない。
短編映画ないしショートフィルムは、面白いものは本当に面白いし、感動で胸が熱くなるものもたくさんある。そういう作品が、日本国内からも多数ノミネートされれば、特設プログラムをたくさん作らなくても、ゲストを呼ばなくても、自然と人は映画祭に集まってくるはずだ。
「短編」が好きで、ショートショートという映画祭に少なからず思い入れのある私としては、「作品の力」で、もっともっと多くの人が、自然と、ショートフィルムを観るために劇場に足を運ぶような状況になって欲しい、と心から願っている。
私が来年もショートショートに関わっているかどうかは分からないが、いずれにせよ映画祭には行くだろう。
来年もまた、素晴らしい才能や作品に出会えることが、今からもう楽しみである。
特に日本のクリエイターの珠玉の作品に触れたい!
その溢れる才能を、ショートショートにぶつけて欲しい!
ショートショートは、観客にワクワク感と驚きを与えてくれる映画祭である。
なんだか久しぶりに「20枚シナリオ」が書きたくなってきた。
【作品紹介】
★協力作品
Superflyの新曲にインスパイアされて制作された短編映画『皆既日食の午後に』(常磐司郎監督。濱田龍臣、新井浩文、南沢奈央、田口トモロヲ出演)。iphone/ipad/androidアプリで配信中です。
★プロデュース作品
チャリティShort作品『GET UP』(監督:大森清一郎、楽曲:EMI MARIA、SPECIAL SUPPORTER:佐藤浩市)
映画と著作権について
連休中に、「映画と著作権」「映画と法律」についてtwitterで長々と語ってしまったところ、『罪とか罰とか』(監督:ケラリーノ・サンドロビッチ)等の数多くの作品を手がけた、映画プロデューサーの榎本憲男さんが"togetter"という便利なサイトにまとめて掲載してくださいました(第1回から第4回まで)。
榎本さんのストーリー解析に関するtweetも非常に参考になるし、面白いので、是非ご参照ください。
http://togetter.com/id/chimumu
榎本さんのストーリー解析に関するtweetも非常に参考になるし、面白いので、是非ご参照ください。
http://togetter.com/id/chimumu
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イギリスで今月23日、サッカーのリーグ戦日程が著作物であるとの判決が出た、とのこと。 http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2010/04/25/24.html 珍しい判決なので紹介を。 ただ、記事には「異例の判決」とあるが、イギリスの場合、それほど突飛な判決ではない。 おそらくイギリスの著作権法に基づく限り、サッカーのリーグ戦日程は「データベースの著作物」に該当すると思われる(日本の場合、「データベースの著作物」は「コンピュータで検索」するものであることが条件になるが、イギリス著作権法ではかかる条件はない。)。 そして、イギリスでは、「データベース」の場合、「額に汗の法理」(sweat of the brow)というものが適用される。 「額に汗の法理」とは、まさに文字通り、「額に汗をかくぐらい、お金と動力をつぎ込んだものについては、著作物として保護しよう」という理論。よって、今回の日程表でも、「重要な労働と技術が必要」と裁判所が述べたようだが、これはまさに「額に汗をかいて日程表を作ったのだから、著作権で保護してあげましょう」という「額に汗の法理」を使ったものといえる。 この「額に汗の法理」は、日本やアメリカでは否定されているが、EU諸国では比較的認められることが多い。 日本やアメリカで否定されている根拠は、「著作権法は、あくまでも"創造性のある表現"を保護するものであり、どれだけの労力をつぎ込んだかで創造性を図るべきではない(つまり、どんなに一生懸命頑張って作ったものであっても、創造性のないものを著作権で保護すべきではない。)。」という点にある。 では、日本では、一生懸命作ったものは一切法律で保護されないのか?というとそうではなく、営業上の利益として民法や不正競争防止法といった、著作権法とは異なる法律で保護されることになる。 よって、イギリスでサッカーの日程表が著作権で保護されることになっても、日本でも保護されるとは限らない(というより、保護されない可能性が高い)が、参考までに。


